雑司が谷について




雑司が谷は、東京都豊島区の南端に広がる地区です。
地図上では「雑司が谷」と記され、駅名は都電荒川線では「都電雑司ヶ谷駅」東京メトロ副都心線では「雑司が谷駅」と記されるなど、表記が統一されていません。

現在、雑司が谷は一丁目から三丁目までですが、江戸時代後期に完成した江戸周辺の名勝旧跡に関する見聞録『遊歴雑記』によると、東は小石川護国寺、南は目白台組屋敷より高田四家町・下高田村、西は巣鴨村代地より池袋村、北は巣鴨村の辺りを境とする区域が雑司ヶ谷村とされており、南北10町・東西14町にわたる広さでした。
また、昭和16年の地図によれば雑司ヶ谷町は七丁目まであり、現在の南池袋や西池袋の一部も含まれていました。

「雑司ヶ谷」という名前の由来は、南北朝時代の頃に雑色職(※1)を勤めた武士がここに移住したことや、付近の林野が法明寺(説によっては小日向金剛寺)の雑司料(※2)に充てられたこと、郡領の子(つまり御曹司)らが始めた土地であるから、など諸説あります。

※1
 蔵人の職位のひとつで、雑務を担う蔵人の見習兼蔵人が欠員になったときの補充要員のこと。もとは服の色の規定がある位袍を着ることのできない無位の者たちをこう呼んでいたが、後に職名の一つになり、中世以降は地方に広がって寺社の使用人や武家の従者を「雑色」と呼ぶようになった。
※2
 収穫される農作物などを物納・納税させて寺社の経済的な支えとなる所有地のことを雑司という。

雑司が谷は木造の古い街並みを守ってきた歴史ある町です。
しかし、そのために火災や地震などの災害に対して脆弱で、東京直下地震の発生が危ぶまれるなか問題視されています。加えて、住宅地には細く入り組んだ道が多く、その点においてもまた緊急車両が進入しにくいなどの問題を抱えています。



トップページへ戻る inserted by FC2 system